縄文人の骨

 

 縄文人の骨を掘り当ててしまった。
 花粉が落ち着いてきてやっと外に出られるようになったので、久々に穴でも掘りに行くか、と思い立って、スコップと財布だけ持ち、帽子をかぶって出かけた。ニュースで今日は夏の日差しと聞いたので、ちゃんと日焼け止めも塗った。
 途中、コンビニに寄る。おにぎり百円のセールがやっていると聞いたので。悩んだ挙句、納豆巻き、紀州梅、サーモン寿司を買った。サーモン寿司は元値が百六十円なので、百五十円に割り引かれる商品になる。あんまりお得感はないけど、結構売れ残ってたのでなんか買ってしまった。日陰をえらんで散歩する。
 広い畑に着き、早速畑の土を掘る。春の畑は土の茶色が赤っぽくて、雑草の若葉が変にきみどりいろなので、目がちかちかする。でも変なうそみたいなきみどりいろは結構好き。春の醍醐味だと思う。
 この畑の周りやうちのあたりは少し前までは人がけっこう居たけれど、ご老人が多かった。ここ十数年くらいでみんなぱたぱた死んでしまい、空き家ばかりになった。畑も、所有者がみんな死んだので、無関係の私が侵入して、たくさん掘っても怒られない。穴掘りが趣味の私には良い時代になったもんである。こんなこと考えるの不謹慎かな、とたまに思うので、呪われないように、南無阿弥陀仏をたまに頭の中でとなえる。(南無阿弥陀仏は呪いよけのおまじないではないけど。)
 小一時間掘って、途中でおにぎりを食べながらお昼休憩をして、また掘り始めたころ、なにかにこつんとスコップがあたった。石かな、と思って土をのけてみると、石じゃない。全貌が見えないけど石じゃないことだけはわかる。どきどきしながら両端に続いている先を掘り起こすように土をのけると、骨だった。白骨化死体だ、とおもってすぐに警察に電話した。
 少ししたら警察が来た。ここなんですけど、と骨をみせる。警察のおじさんは骨を見るなり、「ずいぶん古い骨だね、縄文人じゃないかなあ」とのんびり言った。多少周りを掘り起こして確認したのち、古すぎて事件性はなさそうだから、と言って去っていった。
 警察のおじさんが縄文人の骨じゃないかなあ、といってから、骨に対する怖さは消えていた。ぜひとも縄文人の骨を見てみたいと思った。縄文人とはいえお墓なんだから、掘り返すのはあれかな、とも思ったけれど、また埋めてあげればいいか、と思って掘り起こした。念のため、今度は声に出して、南無阿弥陀仏を唱え続けながら掘った。一日では掘り起こせなかったので明日続きをやることにする。

 

 結局、全体を目にすることができたのは五日目の夕方だった。縄文人の骨は横向きの体育すわりを緩くやっているような体勢で埋まっていた。
 全貌を見てびっくりしてしまった。埋まっていたのは二人だったから。二人ともおんなじような体勢で、どっちがどっちの骨かわからないけど、重なって埋まっていた。なんだか呆然としてしまった。呆然としてしまって脳みそがしわしわしてきた。死んだ後に一緒に埋まる人が思い浮かばなかった。なにより自分が生きている人間であることが、あまりにくっきり見えてすごく変な感じだった。一気に目の前の骨の縄文人がずっと遠くに感じた。死んだ後に一緒に誰かと埋まるってどんな感じなんだろう。ぜんぜんわからない。どんな感じなんだろうなあ。
 気づいたら夜だったので家に帰ってご飯を食べてお風呂に入って寝た。次の日も見に行った、その次の日も、またその次の日も。一週間くらい、様子を見に行った。骨なので動きはないんですけどね。

 そのあと縄文人の骨はちゃんと埋めました。二人の縄文人の骨を見つけた時の衝撃ももうだいぶ薄れました。生きてたら薄れました。毎日様子を見に行っている間、骨を眺めながら、きっとわたしは死んだら骨壺にぎゅうぎゅうに詰められて埋まるんだろうな。なんか、死んだ後もプライバシーを意識してるみたいで変なの。とか、でも子供もいないしだれが私を埋めてくれるのかな。どうなるのかな、わたしの骨。とか、でもまあきっと数か月もしたら私の骨の事なんてあんまり考え得なくなるんだろうな。など、泡みたいな想像をたくさんした。ここ数年でいちばん想像をして頭がつかれてしまったので、早いけど冬眠の準備をして、さっさと九月くらいに眠ってしまおうかなと考えている。考え事に飽きてきたので、今日はコンビニでパンを買って寝ちゃおうと思う。