昔話

 もう何年も布団を洗っていないし、もう何年もカーペットを変えていない。布団に倒れこんで、目の前に、というか顔をうずめていた枕から少し顔を浮かしたときに、細かいゴミがたくさんキラキラ見えたのでふと思った。うちの枕カバーは無印良品の濃い茶色のやつで、ゴミがよく見える。私の日々の寝返りや、たまにクッションにして座ってるせいで少しずつ枕カバーが取れそうになってきているけど、それもなおしていない。布団を洗ってないし、なんなら掃除機もずっとかけてない。万年床だから多分畳もカビてんじゃないかなと思う。べつにそんなのはどうでもよくて、買い物に行こうとしていた。家から一番近いスーパーはちょっと大体のものの値段が高いので、倍の距離くらい歩く方の安いスーパーに基本的に行っている。

 スーパーは通っていた中学校の向こう側にある。なので中学の頃の通学路を通ることになる。その道は畑の間に通る道で、一応舗装されているものの道幅は普通車が一台通れる程度。すごく真面目な畑というわけではなく、何人かで土地を分割してつかうような、住宅地にありがちな畑だ。畑の道は一キロ半くらいで、途中には墓地もある。墓地は畑の道に対して十字に横断する道沿いにあって、そこは桜並木にもなっている。大きな桜の木ではあるが、あまり美しい桜というわけではなく、枝は伸びっぱなしで色の薄い桜という感じだ。人にたとえるなら野武士っぽい桜だなと思う。中学の頃の通学路を通るからといって、なにか感慨深くなったり、ノスタルジーに浸るということは特になく、今ではただの家の近くの気に入っている道、という程度のものだ。

今日はとても日差しが強く、四月の終わりのくせに気温は二五度を余裕で超えているそうだ。最近は日暮れにばかり外出していて、日の高い頃に外に出て日光を浴びないと、と思っていた。こんな暑い日に出なくても、と思いつつも折角久々に早起きして、午後二時にして若干暇だなと感じていたので出かけることにした。

 外はたしかに日差しが強くて暑い。でも、風がさわやかだったので、夏本番の不快感はそんなになかった。日焼け止めを塗ってこなかったので、これは日焼けするだろうなと思いつつも、去年の日焼け止めの残りしかないしまあいいや、と思って戻らなかった。試供品でもらった高いコスメブランドの化粧下地は、大事な日用にともう二年以上ちまちま使っているのに、去年の日焼け止めを使うかは気にしてしまう。

 畑の道に日陰はない。しかもスーパーは西の方角にあるので、行きは進行方向の斜め上に太陽がある。とにかく風よいっぱい吹いてくれと念じる。念じながら畑を見ていると、どこもかしこも芽吹いたばかりの草が生い茂りはじめていた。みんな変な黄緑色をしている。わたしはこの変な黄緑色がとても好きなので、あ、変な黄緑、あっちにも変な黄緑、と見つけた黄緑色をとにかく写真に撮りまくる。写真にはどうもうまくその黄緑色は写らないけど撮りまくる。

 墓地のある十字路を超えると畑の道はもうすぐ終わりで、大きな車通りの多い道に合流する。でも合流する手前に気に入っている木が生えている。その木はザ・木という見た目で、小学生の時に使っていた文庫本サイズくらいの、みんなのうたというようなタイトルの歌詞がたくさん収録されている本の表紙の木にそっくりなのだ。大きくて、枝がきれいに伸びて、葉がついている状態だと丸にちかい形状になるような木。しかもあの表紙同様周りには何もなく、表紙だと草原が広がっているが、そのかわり周りは何も育てていない畑が広がっている。だれが所有している木なのかわからないが、いつ見てもきれいな木で、所有者が死んだら周りの土地ごと買い取りたいくらいには気に入っている。今日もいつ見てもきれいだなと思いながら通り過ぎ、大通りへと合流していった。

 

 買い物を終えても外はまだ暑かったが、日が背中側になったので行きより随分マシに思える。のんびり散歩しながら帰ろうかと思ったが、肉やヨーグルトが悪くなるといけないと思ったのでまっすぐ帰ることにした。

 スーパーまでの道のりの中で、畑の道が占めるのは全体の三分の一程度なので、畑の道に戻ってくるとやっと帰ってこれたと毎度思う。暑い中歩くのは大してつらくはないのだが、荷物が重いとなかなかに疲れる。家まであとちょっとだ、と安心しながら畑の道に入ると、大きな円の影が道に落ちていた。気に入っている大きな木の影だった。その丸い影は大きすぎて道からははみ出して、左右の畑にも影を落としていた。なんとなく丸い影の中で立ち止まって大きな木を眺めたり、円の外の墓地を眺めたりした。墓は中学生のころより増えているようだった。新しい墓たちは、昔からある墓と違ってつやつやと黒光りしていてきれいにも見えたが、新らしい墓たちに与えられた区画は昔からある墓のものより狭く、うまくいったテトリスみたいにぴっちり土地に収まっていた。昔からある墓は、区画は雑で、墓の庭みたいな余分な土地も多くとってあったり、墓同士の隙間も結構広い。墓石もごつごつしていて灰色でなんかかっこいい。埋まるなら古い墓たちみたいな墓に埋まりたい。

 なんて思いながら、大きな木の影の円の外をぐるぐると見渡していたら、円のふちをぐるっと一周歩きたいな、という気分になった。しかし、畝の作ってある畑に影がかぶっていたり、バッグの中の肉の事が気になり出してやめてしまった。とりあえずできない代わりにスマホに「大きな木の日陰のふちを一周踏む」とメモをして家に向かうことにした。帰りも変な黄緑色をみつけては写真を撮り、写真を撮り。そうやって帰っていると、そういえば昨日洗濯したパジャマの胸ポケットに、お風呂に入るときに外したピアスを入れっぱなしにしていたことを思い出した。またやってしまった。

縄文人の骨

 

 縄文人の骨を掘り当ててしまった。
 花粉が落ち着いてきてやっと外に出られるようになったので、久々に穴でも掘りに行くか、と思い立って、スコップと財布だけ持ち、帽子をかぶって出かけた。ニュースで今日は夏の日差しと聞いたので、ちゃんと日焼け止めも塗った。
 途中、コンビニに寄る。おにぎり百円のセールがやっていると聞いたので。悩んだ挙句、納豆巻き、紀州梅、サーモン寿司を買った。サーモン寿司は元値が百六十円なので、百五十円に割り引かれる商品になる。あんまりお得感はないけど、結構売れ残ってたのでなんか買ってしまった。日陰をえらんで散歩する。
 広い畑に着き、早速畑の土を掘る。春の畑は土の茶色が赤っぽくて、雑草の若葉が変にきみどりいろなので、目がちかちかする。でも変なうそみたいなきみどりいろは結構好き。春の醍醐味だと思う。
 この畑の周りやうちのあたりは少し前までは人がけっこう居たけれど、ご老人が多かった。ここ十数年くらいでみんなぱたぱた死んでしまい、空き家ばかりになった。畑も、所有者がみんな死んだので、無関係の私が侵入して、たくさん掘っても怒られない。穴掘りが趣味の私には良い時代になったもんである。こんなこと考えるの不謹慎かな、とたまに思うので、呪われないように、南無阿弥陀仏をたまに頭の中でとなえる。(南無阿弥陀仏は呪いよけのおまじないではないけど。)
 小一時間掘って、途中でおにぎりを食べながらお昼休憩をして、また掘り始めたころ、なにかにこつんとスコップがあたった。石かな、と思って土をのけてみると、石じゃない。全貌が見えないけど石じゃないことだけはわかる。どきどきしながら両端に続いている先を掘り起こすように土をのけると、骨だった。白骨化死体だ、とおもってすぐに警察に電話した。
 少ししたら警察が来た。ここなんですけど、と骨をみせる。警察のおじさんは骨を見るなり、「ずいぶん古い骨だね、縄文人じゃないかなあ」とのんびり言った。多少周りを掘り起こして確認したのち、古すぎて事件性はなさそうだから、と言って去っていった。
 警察のおじさんが縄文人の骨じゃないかなあ、といってから、骨に対する怖さは消えていた。ぜひとも縄文人の骨を見てみたいと思った。縄文人とはいえお墓なんだから、掘り返すのはあれかな、とも思ったけれど、また埋めてあげればいいか、と思って掘り起こした。念のため、今度は声に出して、南無阿弥陀仏を唱え続けながら掘った。一日では掘り起こせなかったので明日続きをやることにする。

 

 結局、全体を目にすることができたのは五日目の夕方だった。縄文人の骨は横向きの体育すわりを緩くやっているような体勢で埋まっていた。
 全貌を見てびっくりしてしまった。埋まっていたのは二人だったから。二人ともおんなじような体勢で、どっちがどっちの骨かわからないけど、重なって埋まっていた。なんだか呆然としてしまった。呆然としてしまって脳みそがしわしわしてきた。死んだ後に一緒に埋まる人が思い浮かばなかった。なにより自分が生きている人間であることが、あまりにくっきり見えてすごく変な感じだった。一気に目の前の骨の縄文人がずっと遠くに感じた。死んだ後に一緒に誰かと埋まるってどんな感じなんだろう。ぜんぜんわからない。どんな感じなんだろうなあ。
 気づいたら夜だったので家に帰ってご飯を食べてお風呂に入って寝た。次の日も見に行った、その次の日も、またその次の日も。一週間くらい、様子を見に行った。骨なので動きはないんですけどね。

 そのあと縄文人の骨はちゃんと埋めました。二人の縄文人の骨を見つけた時の衝撃ももうだいぶ薄れました。生きてたら薄れました。毎日様子を見に行っている間、骨を眺めながら、きっとわたしは死んだら骨壺にぎゅうぎゅうに詰められて埋まるんだろうな。なんか、死んだ後もプライバシーを意識してるみたいで変なの。とか、でも子供もいないしだれが私を埋めてくれるのかな。どうなるのかな、わたしの骨。とか、でもまあきっと数か月もしたら私の骨の事なんてあんまり考え得なくなるんだろうな。など、泡みたいな想像をたくさんした。ここ数年でいちばん想像をして頭がつかれてしまったので、早いけど冬眠の準備をして、さっさと九月くらいに眠ってしまおうかなと考えている。考え事に飽きてきたので、今日はコンビニでパンを買って寝ちゃおうと思う。

生活の話

 恋人と東北へ旅行に行ってきた。二泊三日で、車で。
想像よりいろんなことができたし、想像より楽しかった。東北は雪が有り余っていた。
 帰りはした道で帰ってきたので六時間半くらいかかった。家に着いたのは深夜二時ごろ。すぐ寝れるように、まず洗面所に直行し、歯磨きをして化粧を落として顔を洗った。荷ほどきは明日に回し、荷物はそのまま置いて、布団乾燥機をつけておく。部屋着に着替えて、保湿クリームとリップクリームを塗る。携帯の充電器だけ荷物から引っ張り出して布団へ向かう。十五分ほどしか布団を温められなかったが、布団乾燥機を止め布団に入る。半分くらい温まっているが、足元の方はすっかり冷えている。体をまるめて温まっているところになんとか体を収める。冷え性なので、冬の布団の足先部分ははいつまでたっても温まらなくてかなわない。でも、寝るときに靴下をはくのは何となく嫌なのだ。足がでかいので、普通の靴下をはくとつま先が突っ張って窮屈。日中は耐えられるけれど、家に帰るとすぐに脱いでしまう。大きいサイズのルームソックスを買おうかと思ったが、ルームソックスを買う女になるのが嫌でやめた。あと、かわいいルームソックスを見たことがなかったし。それでも寒いので、やはり買おうか悩んでいたころ、風邪をひいた。久しぶりに頭がだるい症状がでて、本を読む気もせず映画を観る気も起きずで、暇でしょうがなかった。そんな時、ふとかぎ針編みがしたくなったので寝るとき用のぶかぶかの靴下を編もうと考えた。昔はまったころ、毛糸をやたらと買ったが、毛糸を買ったらすぐに飽きてしまったという事があった。道具はそろっていたのですぐ編み始められた。風邪の時の編み物はよかった。単純作業は頭に響かないし、何かを作っていると安心した。しかし、長引くと思っていた風邪は、処方された薬をきちんと飲んだら二日ほどで治った。治ると編み物をする気がなくなり、くるぶしの上くらいまで編んだ靴下の片割れと、毛糸玉が一緒に散らかったまま放置されている。その後、予定が詰まっていたり、今回の東北旅行があったりで、結局靴下は完成されることはなく、編み物ブームは去った。
 布団で丸まりながら、ここ三日見ていなかったインスタグラムの投稿やツイッターを暗い部屋で眺めていた。見ていたら一時間ほどが経っていて、目が冴えてしまった。旅行の写真を眺めながら、旅行のことを思い出していたが、結構楽しかったせいで悲しくなってくる。こういうことが最近多い。東北の雪山や、田んぼに雪が積もって、真っ白な地面がずっと広がっているのとか、町中にまばらに見かけた現地の中学生は傘をささず雪の中を歩いているのを見て、やっぱり雪国の人は傘をささないのか、とか話していたけど、出歩くおじさんたちはみんな傘をさしていて、そうでもないね、とか話したのとかを思い出していた。日本はあんなにでかかったのに、わたしはもう自分の家の布団にくるまっている。旅行の間に二十歳になった。アルバイトを始めてから、たまの非日常のために金を稼ぐ大人になりたくないと、おもうことが多くなった。結局二十歳になっても何にもなりたくなかった。恋人との旅行は楽しかったが、もうあんまりよく思い出せない。恋人といた、という時間と空気ばかり思い出す。旅行をしたのが、家の布団に沈むわたしと同じ人だったのかよくわからない。東北の空気を肺の奥まで吸った気がしなかった。でも、なぜだか、初日に泊まった宇都宮の、少し古いラブホテルの風呂場の扉をあけたときの、ひえた空気だけはわたしの肺の奥まで入ってきた気がする。

えびの浮き輪

 今日、家まで帰ってくる途中に、えびの浮き輪が乾かされているのを見かけた。わたしが子供のころよくCMでやっていたピザーラのえびの浮き輪でした。最近はえびの浮き輪のCMを見なくなったし、わたしも長くプールやら海やらに行っていなかったので、久しぶりにその姿を目にした。懐かしい気持ちになって気分がよかったので、コンビニでチューハイを一本買って飲みながら帰った。
 数日後に同僚のゆめちゃんに伊豆のあたりに旅行にいこうと誘われた。以前だったら温泉につかるだけの旅行になりそうだけれど、あのえびの浮き輪を見かけてからの私の頭の中といえば、夏のみずいろの水に浮かぶ真っ赤なえびの浮き輪の様子を何度も繰り返し思い出している。なので海に行くことにした。


 小学生ぶりくらいの海水浴は、可もなく不可もなく終わった。日本の海ってやっぱりなんだか彩度は低くて、晴れてても曇りみたいな色をしてるし、砂浜に水着で座ると水着の中に砂が入ってきちゃって気持ち悪いし、海の家はじめじめしていて、家族連れまたはノリの怖いお兄さんやお姉さんがほとんどで居心地がわるいし、人の体液をまぜこぜにしたみたいな海の家隣接の簡易シャワーは、空気は生ぬるいのに水はきんきんに冷えててやっぱり苦手だし、などの嫌なポイントをのりこえながら一日を海ですごした。洋服に着替えて砂浜から脱したとき、解放されたという気持ちでいっぱいになってしまった。インドア派のゆめちゃんも然り。しかも肝心のえびの浮き輪は、一つも見かけることができなかった始末である。


 旅館は海辺のあんまり新しくない、お部屋でお夕飯を食べるようなところにした。子供のころは、いかにもファミリー向けですみたいなホテルにばかり泊まっていたので、大人になって初めてこういう旅館に泊まったときはかなり緊張した。当たりはずれは大きいけれど、わりとご飯もおいしいし、人が敷いてくれた敷布団で寝るのは気持ちいいし、サービスで置いてあるカゴ入りのお菓子とか緑茶も好きなので、大人になってからは旅館に泊まることが多くなった。大人になったな、と思いつつも海の印象は昔となんらかわっていなかったのにな、とも思う。
 今回の旅館はなかなかにご飯がおいしく、どんどんお酒がすすむ。職場の新田君と春崎さんが結婚するかもなんだって。春崎さんもついに落ち着いちゃうかあ。とか、ゆめちゃん肌きれいになったよね。化粧落とし高いのにしてみたらすっごいちがうわ。やっぱ高いものはいいんかあ。とか、恋人がはくパンツ、ボクサーとトランクスどっちがいい?ぜったいトランクスがいい。わたしもー、トランクスはいてるひと優しそうだもんね。とか、いろんな話もすすむ。たらふく食べて、たらふく飲んで、ちょっと休憩したら、寝る前にお風呂に入りたくなったので、ゆめちゃんを誘って入りにゆく。一人暮らしなので、家ではあんまり湯船にお湯を張らない。でもお風呂が好きなので、旅館に来るといっぱいお風呂につかりにゆく。いつでも気が向いたときにお湯につかれるってとっても幸せだなあと思う。
 お風呂から戻ると、部屋には布団が敷いてある。ほかほかの体で敷きたての布団のシーツにくるまると気持ちがいい。ゆめちゃんもくるまって、体温とシーツの温度が一緒になってなじんでしまうまで動かない。
     今回の旅行もなかなかに楽しかったねえ。
    海水浴など珍しいこともしましたからねえ。
    そういやなんで海水浴しようなんて いいだしたのさ!
がばっと起きたゆめちゃんが、冷蔵庫から水を取り出しながら聞く。えびの浮き輪の話をしていなかったことに気づく。
    ピザーラがさ、昔CMでえびの浮き輪    もらえます。みたいなのやってたの覚えてる? 
    なつかしいねえ、あれ持って海とかプールいくのあこがれてたなあ。
 あのえびの浮き輪、実は最近近所で干してあるの見かけてさあ。
 ああ、生で使ってるところを見てみたかったってわけか。
お布団でごろごろしながら、ゆめちゃんとえびの浮き輪の話で盛り上がる。えびの浮き輪をもってる家って、やっぱりちょっとお金持ちに思えてあこがれる。宅配ピザをたのむ習慣がなかったから、宅配ピザってぜいたく品だと思っていて、今でもたまに食べる機会があると心躍る。もちろん自分から頼むようなことは、実家を出た今でもない。でも、以前付き合っていた人が宅配ピザを頼む血筋の人だったみたいで、付き合っていた頃はよく食べていた。彼の家にお邪魔したとき、お夕飯なににするか二人で考えていて、宅配ピザが選択肢に上がったときはすっごく興奮してしまった。異文化に触れたみたいで。あの人と結婚とかしていたら、宅配ピザをたべる血筋の子供が私の腹から生まれていたのか、と思うとなんだか不思議な感じがする。
「ゆめちゃん、こんど宅配ピザパーティーしようよ。ぱーっとさ。」
「もちろんだともー。なんだか大人になったって感じでいいねえ。」
ゆめちゃんはおじさんみたいにぐふぐふ笑っている。愉快なのでわたしもぐふぐふ笑う。あしたはたぶんゆっくり起きて、お土産屋さんを見て、夕方くらいに踊り子に乗って帰る。伊豆旅行はなかなかに楽しかった。海水浴はもう当分いかないと思うけれど。いろいろ今日のことを思い返していたら、隣からゆめちゃんの寝息が聞こえ始める。伊豆旅行たのしかったねえ。声に出していってみる。ううんと半寝のゆめちゃんが答える。大人になったなあとまた思いつつも、天井の木目が人の顔に見えてきてこわくなって目をつむった。気づいたらそのまま寝ていた。