えびの浮き輪

 今日、家まで帰ってくる途中に、えびの浮き輪が乾かされているのを見かけた。わたしが子供のころよくCMでやっていたピザーラのえびの浮き輪でした。最近はえびの浮き輪のCMを見なくなったし、わたしも長くプールやら海やらに行っていなかったので、久しぶりにその姿を目にした。懐かしい気持ちになって気分がよかったので、コンビニでチューハイを一本買って飲みながら帰った。
 数日後に同僚のゆめちゃんに伊豆のあたりに旅行にいこうと誘われた。以前だったら温泉につかるだけの旅行になりそうだけれど、あのえびの浮き輪を見かけてからの私の頭の中といえば、夏のみずいろの水に浮かぶ真っ赤なえびの浮き輪の様子を何度も繰り返し思い出している。なので海に行くことにした。


 小学生ぶりくらいの海水浴は、可もなく不可もなく終わった。日本の海ってやっぱりなんだか彩度は低くて、晴れてても曇りみたいな色をしてるし、砂浜に水着で座ると水着の中に砂が入ってきちゃって気持ち悪いし、海の家はじめじめしていて、家族連れまたはノリの怖いお兄さんやお姉さんがほとんどで居心地がわるいし、人の体液をまぜこぜにしたみたいな海の家隣接の簡易シャワーは、空気は生ぬるいのに水はきんきんに冷えててやっぱり苦手だし、などの嫌なポイントをのりこえながら一日を海ですごした。洋服に着替えて砂浜から脱したとき、解放されたという気持ちでいっぱいになってしまった。インドア派のゆめちゃんも然り。しかも肝心のえびの浮き輪は、一つも見かけることができなかった始末である。


 旅館は海辺のあんまり新しくない、お部屋でお夕飯を食べるようなところにした。子供のころは、いかにもファミリー向けですみたいなホテルにばかり泊まっていたので、大人になって初めてこういう旅館に泊まったときはかなり緊張した。当たりはずれは大きいけれど、わりとご飯もおいしいし、人が敷いてくれた敷布団で寝るのは気持ちいいし、サービスで置いてあるカゴ入りのお菓子とか緑茶も好きなので、大人になってからは旅館に泊まることが多くなった。大人になったな、と思いつつも海の印象は昔となんらかわっていなかったのにな、とも思う。
 今回の旅館はなかなかにご飯がおいしく、どんどんお酒がすすむ。職場の新田君と春崎さんが結婚するかもなんだって。春崎さんもついに落ち着いちゃうかあ。とか、ゆめちゃん肌きれいになったよね。化粧落とし高いのにしてみたらすっごいちがうわ。やっぱ高いものはいいんかあ。とか、恋人がはくパンツ、ボクサーとトランクスどっちがいい?ぜったいトランクスがいい。わたしもー、トランクスはいてるひと優しそうだもんね。とか、いろんな話もすすむ。たらふく食べて、たらふく飲んで、ちょっと休憩したら、寝る前にお風呂に入りたくなったので、ゆめちゃんを誘って入りにゆく。一人暮らしなので、家ではあんまり湯船にお湯を張らない。でもお風呂が好きなので、旅館に来るといっぱいお風呂につかりにゆく。いつでも気が向いたときにお湯につかれるってとっても幸せだなあと思う。
 お風呂から戻ると、部屋には布団が敷いてある。ほかほかの体で敷きたての布団のシーツにくるまると気持ちがいい。ゆめちゃんもくるまって、体温とシーツの温度が一緒になってなじんでしまうまで動かない。
     今回の旅行もなかなかに楽しかったねえ。
    海水浴など珍しいこともしましたからねえ。
    そういやなんで海水浴しようなんて いいだしたのさ!
がばっと起きたゆめちゃんが、冷蔵庫から水を取り出しながら聞く。えびの浮き輪の話をしていなかったことに気づく。
    ピザーラがさ、昔CMでえびの浮き輪    もらえます。みたいなのやってたの覚えてる? 
    なつかしいねえ、あれ持って海とかプールいくのあこがれてたなあ。
 あのえびの浮き輪、実は最近近所で干してあるの見かけてさあ。
 ああ、生で使ってるところを見てみたかったってわけか。
お布団でごろごろしながら、ゆめちゃんとえびの浮き輪の話で盛り上がる。えびの浮き輪をもってる家って、やっぱりちょっとお金持ちに思えてあこがれる。宅配ピザをたのむ習慣がなかったから、宅配ピザってぜいたく品だと思っていて、今でもたまに食べる機会があると心躍る。もちろん自分から頼むようなことは、実家を出た今でもない。でも、以前付き合っていた人が宅配ピザを頼む血筋の人だったみたいで、付き合っていた頃はよく食べていた。彼の家にお邪魔したとき、お夕飯なににするか二人で考えていて、宅配ピザが選択肢に上がったときはすっごく興奮してしまった。異文化に触れたみたいで。あの人と結婚とかしていたら、宅配ピザをたべる血筋の子供が私の腹から生まれていたのか、と思うとなんだか不思議な感じがする。
「ゆめちゃん、こんど宅配ピザパーティーしようよ。ぱーっとさ。」
「もちろんだともー。なんだか大人になったって感じでいいねえ。」
ゆめちゃんはおじさんみたいにぐふぐふ笑っている。愉快なのでわたしもぐふぐふ笑う。あしたはたぶんゆっくり起きて、お土産屋さんを見て、夕方くらいに踊り子に乗って帰る。伊豆旅行はなかなかに楽しかった。海水浴はもう当分いかないと思うけれど。いろいろ今日のことを思い返していたら、隣からゆめちゃんの寝息が聞こえ始める。伊豆旅行たのしかったねえ。声に出していってみる。ううんと半寝のゆめちゃんが答える。大人になったなあとまた思いつつも、天井の木目が人の顔に見えてきてこわくなって目をつむった。気づいたらそのまま寝ていた。